その赤い瞳を向けられたのは一瞬。

襲撃の気配がないかを確認するためだけに身辺に巡らされた、気のない。だが、圧倒的な弱者と強者の差を思い知らせる睥睨。

周囲を焼き尽くすような灼熱の業火が、目に見えるようだった。

宿す憤怒に相応しい、真っ赤な色。

背筋を走り腰骨をなでるぞくぞくとするものの正体は、怯えだった。

間違いなく脅えを含んだ、悦楽。

ああ、いいな。

理由なんて知らない。関係ない。いらない。

ただそのあまりにも苛烈な情動を孕むあんたに叶わないと悟った。

その存在があることに、泣くかと思うほど感動した。

すぐに逸らされたその激情を、もっと向けられたいと渇望した。

服従するならあんたが良い。

屈服するならあんたにが良い。

自身を従わせるのに、あの痛みすら覚える炎以外に相応しいものがあるだろうか。

 

只闇雲に飢餓を埋める獲物を求めて彷徨っていた銀色の鮫は、反旗する気すらも起こし得ない絶対の主を認め、歓喜に牙を剥きだし、壮絶に笑った。

 

この日まで

私は生きていなかった

 

幾つか任されるようになった仕事のひとつ、勢力としてはそこそこのファミリーの粛正をどうするべきか、ザンザスは頭を巡らせた。

個人的に使用できる駒は少ない。

父親の、否。9代目の部下を幾ら使っても構わないとは言われているが、そう出来る訳がないのだ。後継者問題の渦中にある今、筆頭候補の力量を見定める、或いは何か引きずり落とす足がかりになりはしないかと、誰も彼もがあちこちで耳目を光らせている。

ただでさえ知れれば致命的に過ぎる欠陥を抱えているだけに、ザンザスは慎重にならざるおえない。

この一件も自身が出れば直ぐに片が着くことは分かり切っている。しかし今求められているのが、そういった個人的な戦闘力ではなく、どう裁くかという手腕如何だということをザンザスは承知していた。

力を制限された中で、どれだけのことをやれるか。また、その判断に甘さはないか、行き過ぎではないか。武闘派、穏健派どちらもが許容できるだけの組織を統轄するに相応しい行動をとれるか。

それこそが上層部の連中が見たいものだ。

知れている思惑に、吐息を吐く。

粛正と一口に言っても、その形態は様々だ。

ようは組織を立ち居かなくさせればいいのだから、資金源を奪取し枯渇させても、同盟ファミリー内から追放させるのでもいい。

文字通りに主立った幹部達を消していってもかまわなければ、何処か別のファミリーをぶつけて抗争をおこしてもいい。勿論、その際はぶつけた方を勝たせるよう、手を回さなければならない。これはその後のフォローも面倒だが、粛正したファミリーが所有していたシマの利権争いも綺麗に片付けることができるので一石二鳥ではある。

そうするかと、ザンザスが何処か適当なファミリーはないかと脳内のリストをめくっている最中にドアが叩かれた。

「なんだ」

許可の声を得てから扉を開けた見慣れた顔は、ザンザスの護衛も兼ねた部下のものだ。

9代目の、と。皮肉げに付け足して口端を歪に持ち上げる。

ザンザスの私邸とはいえ、実質彼のものなど殆ど存在しない。

人も物もすべてあの老人から与えられたものだと絶望と同じほどに諦念を抱くが、それ以上にふつふつと沸き上がる強い怒りに、裏切りを知った子供はいつだとてその身を焦がされる。故にその苛烈な眼差しを受けた相手は、自身よりもずっと年下の少年に萎縮し、これ以上近付くのを忌避するようにその場で報告を始めた。

「先日からファミリーの人間が襲撃を受けていることはご報告いたしておりますが」

はじめは必要がないと判断されて上がってこなかった情報だが、取るに足らない下っ端からいきなり根幹にほど近い構成員にまで事が及んだ時点で、確かにこの件に関する報告はされた。

ボンゴレほど巨大な組織になれば、下の方で起こる事件まで子細もらさずと言うわけにはいかない。なにせ構成員や小競り合いの発生数からしても馬鹿にならないのだ。勿論後々の大事に繋がるのはそういった些細な出来事であるだけに重要性を認識して、篩い分けには細心の注意が払われているが、やはり完璧とは行かない。

この件にしろ、最初に襲撃された構成員が死んだわけでもないので諍いのひとつとして処理される所だった。それが日でなく、時間を追うごとに被害が増していった所で情けなさに口を噤んでいた連中が事態の重さに青ざめつつ口を開いた。なぜ情報を隠匿するような愚かな真似をと取りざたされたが、その件の相手が年端もいかない少年一人では、名だたるボンゴレファミリーの一員である大の大人としては隠しておきたいのも分かる。いかにそれが巷で評判の剣豪殺しの少年剣士相手でもメンツが立たない。

犯行者の報告までは受けていたザンザスは、それでと続きを無言で促した。こうして言うからに、良いにしろ悪いにしろなにか進展があったのだろう。

「襲撃者が判明した時点でこの件は収束すると思い、敢えて報告は致しませんでしたが。その、実はこの一件の目的はザンザス様の情報を得るためらしく」

「なんだと」

そこまで聞いた所で、ザンザスは柳眉を逆立てた。兇悪な怒気の渦巻きに、ひっと息を呑んだ男に舌打ちし、彼は振り上げてしまいそうな腕を押さえるために強く拳を握った。

隠蔽が誰の指示で行われたかなんて聞くまでもない。

あの老いぼれの仕業に決まっている。

己に関する情報だったというのに気づけもしなかった口惜しさも怒りを煽る原因だが、こちらをまるで加護しなければいけない弱者だと言っていると同じ、ザンザスを愚弄するような所行にこそ腹が立つ。

どこまで行ってもあの老人の掌で躍らされているようで、不快感に嘔吐すら込み上げる。

あからさまな恐怖を見せてこちらを伺う男も気に障った。命じられて動いたのだから己に非はないと泰然としていればいいものを。

気の弱いものであれば昏倒しかねないほどの覇気を纏う己と相対するのは、余程の胆力の持ち主でなければ無理な話だというのを常日頃は自覚しているザンザスであるが、今そんな認識は頭の隅に追いやられている。

「も、申し訳ありません」

「いい。それで」

「は、はい。それがつい数時間前マルチェロ氏が例の少年に襲われて、こちらの私邸を喋ったと」

「ドカスが!」

謝罪すらも厭わしいと、鬱陶しげに手を振って話しを促した9代目の嫡子は、続けられた聞くに堪えない身内の恥に激昂し椅子こそ蹴倒さなかったものの罵倒を上げた。

ますます萎縮して顔面蒼白になっている部下など、もうどうでもいい。仮にも幹部に名を連ねる身が、ドンの子息の住居をもらすなど、みっともないとか体裁どうこう以前にあってはならない。

裏切りとすら見なされる愚挙だ。

しかも、

「数時間前だと?貴様等その間なにしてやがった!」

致命的なタイムロスだ。

数時間あれば、人一人殺す準備など容易く整えられる。そういった世界だ。

「お許しを!!マ、マルチェロ氏は負傷のため治療に入ってしまいまして、連絡がはいったのはつい先程でして!既に移転先の準備は指示しております!!ザンザス様にはそちらの方へのお移りをお願いしたく…!!」

事態を報告する前に覚悟を決めてきたとはいえ、やはり9代目の子息の勘気は震えが来るほど恐ろしい。

平身低頭で懇願してくる男から顔を逸らし盛大に舌を打ち、仕方なく腰を浮かそうとしたザンザスはふと神経にざわめきを感じて押し留まった。

彼の直感が、何かを伝えようとしている。

それは危険へを知らせる警鐘ではなかったが、何かを強く訴えていた。ザンザスはその不可解に眉を顰め、しばし答えを求めて身の裡を探っていたが、ここより離れた敷地で唐突に起こった戦闘の気配を捕らえて思索を中断した。

何者かなど、最早明白だ。

己の所在を捜索していたという、例の少年剣士が乗り込んできたのだろう。

「遅かったみてぇだな」

お早くと事態に気づかず急かす間抜けに一瞥をくれてやって、かなりのスピードで近付いてくる獰猛な気配に興を引かれたザンザスはようやく立ち上がった。そのままほっとしたように肩を落とす黒服の横をすりぬけたのは屋敷を移動する為ではなく、たまった鬱憤を晴らす意味もこめて、返り討ちにしてやろうと考えたからだ。

待ち受ける暴力沙汰に昂揚する気分の儘、ザンザスは物騒窮まりなく口端を吊り上げた。

 

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